心配するってのは一方的で傍迷惑な心の動き、だとか、前に書いた。
今でもそれはそう思う、でもそれって全部が無駄じゃなくて、ちゃんとなにか一定の効果をもたらすことがあるんじゃないかって、思う。
心の奥がぎゅうっと絞られるぐらい、真剣に誰かのことを考えることは、目に見えてできることが少なかったとしても、きっと相手の力の『足し』になる。
たとえば親なんかに心配されるのって、ちょっとうざったくて好きじゃないけど決して嫌じゃなくて、くすぐった嬉しくて少しあったかい。
心の支えとかそんなだいそれたもんじゃなくても、どっかで安心する。
でもうまいこと『心配する』のって難しい。
心の中身を相手にどれぐらい伝えるか、はいつも難しいテーマだけど、『心配』のさじ加減もやっぱり難しい。
泣きたいぐらいでも泣いちゃダメなときがあるし、言いすぎるとお小言みたいだし、言い方が平然としすぎてても社交辞令みたいだし?
俺のは上手く伝わってるかな。
心配してるよ。大事だから。
でも思いに報いようとか、頑張らなきゃとか、思わなくていいよ。
心配してる人のことは、時々ちょっと思い出して、エヘッて思うぐらいがちょうどいい。
