外野から見当違いなことを吠えてたみたいで。ごめん。
ブログとかホームページっていう媒体の、誰でも発信できる、誰でも受け取れる、っていう特性をどんなものと考えるか、ってことなのかな。
まだどんなものとして扱うのが正解なのか、人によって考えが違うのが問題だと思う。
たとえば自分のブログやホームページは自分の部屋みたいなものだととらえる人からすれば、書いてる日記をお客さんにも読めるように置いてあります、好きなこと書いてます、気分によってはひどいです、読む読まないはご自由に。そんな感じで内向きな空間。若い人(ってか幼い人?(´・ω・`))に多い気がするんだけど。
自由でしょう。あたしの部屋だもの。誰を褒めても批判しても。不安や絶望感を垂れ流しても。批判のコメントが来たら気にくわないから全部消す。気分を害したのなら読みに来ているあなたが悪い。
それでも別にいいと思うよ。
何を書いてても共感できる人がいれば集まってくるだろうし、誰も来ない部屋だってあるだけで意味がある…のかもしれない。
あるいは小さなラジオ局でもやってるみたいに思ってる人もいる。自分の意見を不特定多数に向けて発信しながら、誰か聞いてくれて共感してくれる人と繋がりを持とうとする。
誰かの役に立つことを書きたい、誰かに何か訴えたい、こんな楽しいことがあるよ!こんな新しいことがあるよ!誰か!聞いて!
世界に向けて発信している、という意識がある時点である程度の常識的な制約があることを気にしながら書いてると思うし、文章にも責任を持ってる。
ネットがこんなにもメジャーな世界じゃなかった頃はほとんどがこうだったと思う。
でもこればっかりだと自由度は少ないし、『誰もやってないこと』なんてすぐに飽和していわゆるネタ切れになる。
俺はこの二つの中間かなぁ。いまだにスタンスを決めかねてるけど。
書いてる以上責任は取りたい、けど書いてる内容はごく個人的なことだからそこから誰がどう感じるかまではあまり考えてない。
でも、読んで悲しくなるとか淋しくなるとかマイナスの感情がそこに生まれるとしても、何かを感じるというそれ自体が大事なことだと思う。
人を動かす言葉を紡ぐことのできる人だから、俺はあなたの文章を読むのがとても好きだし、読んで感じたことを俺なりに真面目に考えて何か書こうって気になる。
俺はいったい何のために書いてるんだろうって考えると、やっぱり俺という人間を理解してほしいからなわけで。
明るいのも暗いのもチャラいのも真剣なのもカッコつけたのもだっせぇのも、全部俺だから書くわけで。
できることなら丸ごと認めて欲しい。
無理なら反論もしてほしいし諫めてもほしい。
合わないと思ったら次は来なくていい。(このへんが狭量というかなんというか(笑))
できることなら読んだ人が読む前より少し幸せな気分になれてたらいい。
したらその人が誰かが幸せになるようなことを書いてくれて、誰かがまたそれを読んで。
そういう伝染がずっと遠くまで続けばいい。
欲張りな男です。完全に思い上がりです。(笑)
毎度毎度、アホなことしか書いてないのにね。

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懐かしいな、このアルバム好きだ。
つーかヤスのスタンスでいいと思う。現に俺はいろんなとこ共感してるから来てるわけだからな。
キライや苦手や否定はなるべく書かないようにして行きたいわな、俺も。
好きだったわー今も好きだけど(笑)
うん、ありがとう、そう言ってくれると、いてよかったと思う。
暗くなることは書きたくないけど、たまには吐き出さなきゃだめなんだぜー。
とかも思う。矛盾。いいかげん。(笑)
背負いきれないものははんぶんこだ。
押しつけられても平気なぐらいには成長した、つもり。