清志郎にーさんの訃報がショックで、神様がいるなら俺の好きな人みんな死なないようにしてほしい、とか祈ってみたいと思った俺です。祈るってある意味そういう無茶な我が侭を通そうとする行動じゃないのかな。
俺にとって神様は祈る対象ではなくて敬う対象です。
「神様には祈らないが 居るなら会ってはみたい」と言われて少し考えた。
俺が生まれたときから、俺の家には仏壇も神棚もなくて、儀式と言えばイタダキマスとゴチソウサマと初詣で手を合わせるぐらいのもんで(笑)、ほんとに信仰心のかけらもない家族だった。
受験のときには人並みに絵馬に志望校書いたり御守りを買ったりもしたけど、それは自分の気分を落ち着かせるためのおまじないであって、本気で神様にどうにかしてもらおうと思ったことはない。
だから、熱心に神棚に手を合わせる人も、経典を暗記するぐらい毎日唱える人も、聖書の教えのとおりに暮らそうとする人もよくわからない。申し訳ないと思う。
別に否定はしないしその人の信じるものを信じたらいいと思う。
(でも理解されないからって 逆に俺を可哀そうな目で見るのはやめてほしい。(笑)信じなかったら救われないとか、そんな心の狭い神様なんかおかしいだろ。)
神様って何だ。実在しなくてもどこかにいるのかな。俺みたいに。(笑)
祈ったらどうにかしてくれるのかな。
奇跡を起こしてくれるのかな。
自分に降りかかった悪いことを全部神様のせいにしても許してくれるぐらいすごい存在なのかな。
神様に祈ることを始めた人たちは、きっと自分の力だけではどうにもならない不幸、的なものを抱えていて、祈る対象を作るしかしょうがなかったんじゃないかと思う。
俺はたぶん恵まれすぎていて、だからなんだか納得いかない。
でも神様なんか居ないんだ、って言いきってしまうのは少しさみしい。
多分俺は無神論者じゃなくて汎神論者っていうやつなんだと思う。
信じればそこに神様がいて、神様を大事にすれば自分のココロが幸せを感じる、っていう「日本むかし話」みたいなのがしっくりくる。
自分で見つけた神様を大事にして、いいことがあったら感謝する。大事にしても、たまには悪いことも起こるけど、そしたら自分を振り返って、反省して、またもっと大事にする。
そういう理屈で行くと、俺が大事に思ってる連れらはみーんな神様だなぁ。(笑)
感謝してるよ、嘘くさいかもしれないけどいつもありがとう。(笑)
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