世間話の続きで、母親に尋ねられたことで少し思うことがあったのでメモ。
オカンの話を要約するとこうだ。
オカンは知り合いに相談されたそうだ。
ややこしくなるのでAさん、としよう。
Aさんは同じ習い事をしている知り合い(友達というほどではないにせよ付き合いは長いらしい。ここでは仮にBさん)と話していた時に、どういう流れからかそのBさんの息子さんが1年ほど前に亡くなったことを聞いたという。
すぐに話を変えられてしまったのであまり触れられたくないことだとはわかったのだが、本人の口から聞いてしまったからには、次に会うお稽古のときに淋見舞なり贈らなければ失礼にあたるのではないのかと、Aさんは思った。
けれどももう1年も前のことであるし、今さらだろうかと、誰かに意見を聞いてみることにした。
さびし見舞い、というのはちょっとローカルな風習で、誰かが亡くなった時に供物としてではなく、遺族に食べ物やお金を贈って支援の意を示す、ようなもの。
贈らないと失礼、だとか、そういうのはしきたりの一部みたいなもんだから、重んじる人もいれば全く気にしない人もいて、簡単な判断は難しい。
けど一年も経っている触れられたくないような出来事を、いまさら何度も蒸し返すような贈り方はしきたり以前の問題じゃないかと俺は思う。
オカンも同じようなことを思ったらしく、Aさんにはやめておいた方がいいと意見だけ言ったそうだ。
そんな話をして、人に物を贈ることについて少し考えてしまった。
地方独特のものかもしれないが、俺が住んでいる地方の、特に年配の人は「あげたがり」がとても多い。
たぶん、単に見栄っ張りが多いんだと思う。(笑)
包装紙にまで見栄を張って競うように贈り物をしている姿は、なんだか義務みたいで。
贈られるものも、贈る気持ちも、踏みにじられてる、ように思える。
誰かに何かを贈るのは、自分の感謝なり好意なりを形にして相手に伝えたいから。
相手の喜ぶ顔とか、気持ちとか、そういうものを想像して、自分も幸せな気持ちになりたいから。
あげること自体が自分のためなんだから、もらってくれてありがとう、ぐらいに思わなきゃ。
まとまらなくなってきたけど……なんとなくね、心がチクチクしたから書き留めておく。
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